金刀比羅神社!徳島県鳴門市動画で紹介!
自称・歴史探究家のshigeです。
阿波忌部を探って探究していたら、ここの神社も関わりが?
本日の紹介する神社は金刀比羅神社です。
金網で囲われている???
御祭神
大物主命、少彦名命、猿田彦命
御由緒
金刀比羅神社は、慶長6年(1601)林崎城主益田八右衛門のご創建
ご祭神は大物主命と申し上げ
讃州金刀比羅宮よりご勧請、開場安全・交通安全、家業繁栄、福徳円満、夫婦和合、開運の神として
ご神徳あらたかなることろにより近郷近在はもとより、広く阿淡二州にわたり崇敬を集めて来た。
寛永17年(1640)藩主蜂須賀忠英公、社殿をご再興。
祭礼神事料として毎年米四石及び幣帛の寄進があり、その後も歴代藩主は社殿再興・御社参代に信仰尋常ならぬものがあった。
神事祭式は益田八右衛門の進納せる金紋五七桐陣太鼓、唐金華山軸および天神冠を持って行った。
「阿波志」(文化12年)にも「金比羅祠 木津山に在り 慶長六年置く 磴道百歩許り 弥望十里瞭然目に在り 神会毎に米四石を賜る 鼓あり 木を持って釘となす 益田氏納む所 其の下に坊ありて丁役を徐す」とある。
明治元年、神仏分離令により
別当長谷寺を廃して神職を置き、同3年金毘羅羅大権現の旧称を現社号に改め
同7年郷社に列した。明治40年神饌幣帛料供進社に指定され
例祭・祈年・新嘗の三大祭には町長献幣使として参向するなど官民あげての崇敬があった。
昭和20年敗戦の結果、神道指令により国家管理を離れ
一宗教法人として、もっぱら氏子崇敬者の敬神に待つところとなり
今日に至っている。
金刀比羅神社の階段横には・・・
しげさんぽ。