阿波忌部と大麻比古神社!
Googleマップで確認場所は・・・
阿波國一之宮 大麻比古神社
主祭神
大麻比古神 - 天日鷲命の子で、阿波忌部氏の祖とされる。
大麻比古神社を超簡単に詳しく紹介!
大麻比古神社は「おおあさひこじんじゃ」とお呼びします。
徳島県民は「おおあささん」とか「おおあさはん」と親しみをこめて読んでる見たい
県外の人とかは漢字をそのまま読んで
「たいまひこ」とか「おおまひこ」と読む人がいるそうです(笑)
お正月には25万人の初詣客で賑わっているそうです。
おまつりしてる神様は・・・
二柱の神様がおまつりされています。
柱(はしら)とは神様や佛様を数えるときの言葉です。
大麻比古大神と猿田彦大神の二柱の神様です。
また、おまつりしてある神様のことを御祭神(ごさいじん)と言います。
御祭神はどんな神様か・・・
まず大麻比古大神とは、
大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。
神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて人々の福利を進められました。
その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。
この神社が今徳島市に忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳をたたえて麻植の神と申して敬ってきました。
忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で此の神様を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが大麻比古神社と伝えられています。
猿田彦大神とは
天孫降臨(てんそんこうりん)の時その道案内の役をつとめられた神様で、昔大麻比古神社の裏に聳えている大麻山(おおあさやま)の峯にお鎮まりになっていましたが、いつの時代かはっきり判りませんが大麻比古神社に合わせまつられたと伝えられています。
猿田彦の神様は私共に親しみの深い神様です。
おまつりの時、神輿(みこし)の先頭に立って天狗のお姿をして神輿の先導をされている神様で、人々や土地のまわりに立ち塞がり、災難や禍をもたらすものを祓い退けてくださる神様です。
大麻比古神社にまつられている二柱の神様を総称して人々は「大麻はん」と申し上げており、方除(ほうよけ)、厄除(やくよけ)、交通安全の御加護をお授けくださる神様として今も多くの人々から信仰されています。
大麻比古神社はいつ頃からこの地に祀られてるか・・・
はっきりした年月はわからないそうです。
でも・・・
平安時代初期に編纂された延喜式(えんぎしき)の神名帳に記載されている神社3132座の中で阿波国50座の内の大社として大麻比古神社の名が残っています。
延喜式とは、延喜5年(905年)醍醐天皇の勅命によって藤原時平等が編纂した制度集のことで、延長5年(927年)に完成したものです。
平安初期の制度、儀式作法等の細則をまとめたもので、その中の神名帳(じんみょうちょう)に記載された神社3132座を式内社といっています。
この中に阿波国では大社として大麻比古神社、忌部神社、天石門別八倉比賣神社の名が残っています。
このようなことから考えると、今から1100年位前の時代にはすでに阿波国の代表的な神社であり、それほど古い時代からおまつりされて今に至っている古いお社です。ご神木の楠は樹齢約1000年、鳴門市の文化財に指定されています。
大麻比古神社の社格は・・・
社格というのは、昭和20年に廃止されたそうです。
明治6年から昭和20年までは国幣中社という格式の高い神社だったそうで
大麻比古神社は阿波国の一の宮で全国約100社の中の1社
一の宮とは、平安時代から鎌倉時代初期にかけて整った一種の社格というべきもので、国の中で最も由緒の貴い中心的な神社、又古代の制度において國司が国内の神社を順拝するときその序列の中で最上位につけられた名称であるといわれています。
なお、阿波国と淡路国の総産土神(うぶすながみ)として今も崇敬されています。
大麻比古神社は、徳島県でも有数のパワースポット・・・
ご神木である樹齢千年余りの楠は
幹回りが8.3メートル
高さが22メートル
鳴門市指定の天然記念物!
ご神木のパワーに圧倒されますよ!!!
社殿の裏には・・・
発見!!!
ドイツにも深いつながりが・・・
追加情報・・・
大麻比古神社の裏の駐車場入って直ぐ横に・・・
続きは・・・しげさんぽ。Youtubeで御覧ください。