阿波徳島!石尾神社を探索してきました!
おはようございます。!
自称・歴史探究家のshigeです。。。
阿波の歴史・・・
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忘れましたが???
今日は 徳島県美馬市穴吹町古宮字平谷の山深くに有る。
石尾神社の紹介です。
美馬市穴吹町古宮の奥、標高約700m付近、平谷川の水源地には、東西80m・南北120m・高さ30mの巨大な緑泥片岩(結晶片岩)の露頭岩があり、その下部の岩陰には「石尾神社」が祀られている。
周囲の地理的状況から見れば、旧三加茂町の「新田神社」の岩陰遺跡と同じく縄文時代の遺物が発掘されるに違いない。
その岩陰から下斜面にかけ、高さ約1m弱の緑泥片岩の板状の立石が約50mにわたって並べられている。
社殿が造営される以前は、この立石自体をカミや精霊が降臨する依代とし何らかのマツリが行われていたであろう。
このように立石を一直線上に並べる祭祀形態は、阿波忌部族の根拠地特有のもので、他に、美馬市穴吹町田方の「忌部の七神石」、支納の「立石」、美馬郡つるぎ町友内山「チチブシャン滝」、長瀬「立石山」、吉良の四足堂前の立石などが知られる。
円形状に配置する環状列石などは秋田県の「大湯遺跡」が知られ、イギリスのウェールズではストーンアライメントと呼ばれる。
これらは、立石を崇拝する最も原始的な深淵な思想の産物であり、世界農業遺産の中の一つとなりえるだろう。
この記事に紹介されてる忌部族とは・・・
品部の地方忌部には、
竹や盾を納める
手置帆負命(たおきほおいのみこと)を祖神とする讃岐忌部(香川)
玉を貢納する。
櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)を祖神とする出雲忌部(島根)
宮殿の木材を貢納する。
彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祖神とする紀伊忌部(和歌山)
麻・木綿(ゆう)を納める。
天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祖神とする阿波忌部(徳島)
鍛冶に携わった。
筑紫と伊勢忌部(福岡・三重)の祖神とされる
天目一箇命(あめのかひとつかのみこと)などがある。
阿波忌部は践祚大嘗祭に麁服(麻織物)を貢進する役目があり現在でも続いている。
その他、越前(福井)、淡路(兵庫)、備前(岡山)、隠岐島(島根)、安房(千葉)などにも忌部氏が居た。
【忌部神社 御所神社】天皇家と関係が深い忌部一族の歴史を辿って!
阿波忌部の最新研究の成果
林博章氏プロフィール
1965年(昭和40)徳島市生まれ。青山学院大学法学部卒。2005年鳴門教育大学大学院修士課程修了(地理学)。古代史研究家。市民・行政・産業界と連携し徳島や日本創生のための活動を展開。現在、忌部文化研究会会長
林博章氏の研究による一考察で、阿波勢力(後の阿波忌部族)は、弥生後期から古墳前期(3~4世紀)にかけ、吉野川流域を中心にその勢力を展開し、海部(あまべ)と力を合わせ阿波地域を拓き、ヤマト王権成立に大きな影響を与え、日本各地に麻・榖(かぢ)を植え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住の生活文化技術や産業技術・古墳築造技術(農業土木技術)などを伝播させた技術集団、かつ祭祀集団であったことが次第に判明してきた。その技術や思想を伝播させた背景は根拠の一つとした剣山系の風土や農文化にあったと推測される。
阿波忌部は、天日鷲命(天日鷲翔矢命)を祖神とし、麻や榖(楮)の殖産に長けていた。古代において阿波忌部が特異とした麻や榖は生活産業文化の基盤である。天日鷲命の初出は『日本書紀』の天石屋戸神話で、木綿(ゆう)作りをしたと記録される。同書の天孫降臨神話では、作木綿者とある。『古語拾遺』には、天日鷲命の孫が阿波に来て榖・麻を植え大嘗祭に木綿や麻布などを貢進し、郡の名を麻殖と名付けたとある。阿波忌部の一部は天富命に率いられ東国(関東)に入植し麻・榖を植えた。榖が実った地は結城郡(茨城県結城市)、麻が良く実った地は総国(上総・下総)、安房忌部の居る所は安房郡(安房国)となり、太玉命を祀る安房社を建てたとある。
Googleマップで場所の確認
動画でも紹介していますが、この場所で有ってるのかが不安でした!
石尾神社が有る山の上り口
ここからは・・・
Youtubeでどうぞ 御覧くださいね!
この画像が・・・岩の上に有る 古代祭祀遺?
画像引用しています。
危険の看板が出ていたので断念しました。