源義経像の「旗山」徳島県小松島に存在!
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おはようshigeです。。
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源義経とは・・・
歴史を振り返ってみよう!
源 義経(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代末期の武将。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は異母兄。
仮名は九郎、実名は義經(義経)である。
河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。
平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。
兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。
全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。
しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。
その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を始め、多くの伝説、物語を生んだ。
義経騎馬像・旗山の場所は・・・
徳島県小松島市Googleマップ
車で行くなら駐車場はありませんが、トイレは山の下にありましたよ。
駐車場がないのですがshigeが行った時は、誰もいなく
周辺はのどかな田んぼと住宅地ですので
邪魔にならないように田んぼの脇に車を止めさせていただきました。
徳島県小松島市には、「旗山」と呼ばれる小山がある。
源平合戦の折、屋島の平家軍を討伐するため寿永4年(1185)2月18日
源義経の軍勢が勝浦尼子ヶ浦(現在の小松島市)に上陸した。
この「旗山」の山頂に源氏の城旗を掲げ兵士の士気の高揚を図ったと伝えられている。
まさに「旗山」の語源である。
現在山頂には日本一の高さを誇る6.7mの義経騎馬像が建てられ
夜はライトアップされている。
第18番札所恩山寺の山々を背景にした勇姿は美事な歴史的農村景観です。
義経ドリームロード